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やぶにらみ民俗学

買ってしまった・・・

おはようございます。

現代日本に定期的に現れる所ジ○ージにはいつも誘惑されっぱなしです。いつも甘い夢を見ては敗れる日々・・・。でも買ってしまうのですよ、「ひょっとしたら?」を求めて。

今度こそは・・・?


そうです宝くじです。グリーンジャンボです。ええ、買いましたよ。買いましたとも!いつものことながらバラで10枚だけ(セコい)。今回は星占いも完璧だったので、たぶんいける!っていつも思うのですが、300円しか当たりません。何でやねん。

ところでこの宝くじ。『日本民俗大辞典』によれば、本来はお寺などで福や徳を施すという宗教的行事で楽しまれていたそうで、本来は何人かでお金を出し合ってくじを引いて、当たった人から多くもらっていって、一番最後の人にまでお金を分け与えることであったといいます。それが江戸時代初期には抽選で多額の懸賞金が与えられる「富くじ」になったのです。元禄時代には最盛期を迎えましたが一時禁止され、後に一七三〇年、京都仁和寺の修復費用を集める名目で再び始められました。江戸市中では「湯島天神」(現文京区)・「谷中感応寺」(現台東区)・「目黒不動堂」(現目黒区)が「江戸の三富」と呼ばれ人気を呼んでいたそうです。幕末ごろには各藩で財政政策の一環として盛んに採用されていました。

さて、私が研究している四国は香川のこんぴらさんでも、この「富くじ」が行われていました。こんぴらさんの管理は高松藩松平氏。あの水戸光圀の兄であった松平頼重が一番初めの藩主でした。松平氏はこんぴらさんに並々ならぬ信仰を寄せていましたが、ほかにも京都市中の公家たちからも信仰を集めていました。その中の一家九条家が高松藩に「大般若講という仏教行事をしたいので富くじを開催して費用を集めたいんだけど・・・」と持ちかけたのが1816年(文化13年)でした。高松藩は「いやあ、いろいろと後から問題になるから」と断っていたのですが何度もしつこいお公家さんについに折れて、1825年(文政8年)についに「九条富」が始められたのです。

当初は10年を区切りとして行われていましたが、さらに10年が延長され、始めは4千弱だった札数が最大で5万枚にまでなったといいますから、その人気振りがうかがえます。ちなみに富籤による利益の配分は、はじめは金毘羅三・九条家七という割合でしたが、やがて五対五となり、さらに高松藩が介入することとなって、金毘羅三・九条家三・高松藩四の比例になっていたそうです。高松藩はおいしい思いをしたわけですね。その後九条家はくじ期間の延長を再度申請しますが、許可されることはありませんでした。

現在の宝くじの原型は、第二次世界大戦末期1945年(昭和20年)に売り出された「勝札」にあるといわれています。これは抽選前に敗戦となってしまいましたが、副賞としてタバコや晒しなどがありました。その後1948年(昭和23年)に当せん金付証票法に基づく公営ギャンブルと制定され、1976年(昭和51年)12月21日には年末のジャンボ宝くじ売り場に群衆が殺到。福岡と松本で死者が出る騒動になりました。宝くじは自治体などの財源確保を目的に運営されているということです。

「極私的な富の贈与」という究極的に限定的な方向に向かうものにすら「公的な都合」(この場合は九条家の仏教行事や自治体の運営)を建て前とするあたり、昔も今も変わらない行政運営者の姿が垣間見えるようです。


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